社会の基準で意味のあることをやってなんの意味がある?
でも自分の幸福だけ追い求めるっつったって褒められたら嬉しいし舐められたら辛いんだから
迎合したくないなら精神から自由にならなきゃ
苦しくないように意識を自由にしようとすればするほど日常生活が苦しくなっていく
こうやってあれこれかんがえてるからくるしいんだろ、今すぐ辞めて
暇だから悪いのかな
死にたい
どうしたら死にたくなくなるんですか
嘘、死なないから
苦しいってだけ
社会の基準で意味のあることをやってなんの意味がある?
でも自分の幸福だけ追い求めるっつったって褒められたら嬉しいし舐められたら辛いんだから
迎合したくないなら精神から自由にならなきゃ
苦しくないように意識を自由にしようとすればするほど日常生活が苦しくなっていく
こうやってあれこれかんがえてるからくるしいんだろ、今すぐ辞めて
暇だから悪いのかな
死にたい
どうしたら死にたくなくなるんですか
嘘、死なないから
苦しいってだけ
小説を読んだり映画を見たりする時、自分のその時の思想と一致するメッセージしか受け取れてないんじゃないかと思うとなんか怖い
感想が「そんな考えもあるのか!😭」じゃなくて「私もそう思ってた!😭」になってしまうというか……
別にいいのか。
最近はMAZZELのHolidayのwe got nothing to loseという歌詞を聴いて「それな」と思っている。音楽聴いて「それな」と思うのおかしいだろ
しかし自分の中に存在する思想、メッセージしか受け取れないというのは当たり前なのかもしれない
「インド行って人生観変わる」ってのも
人生観変わる準備ができてたのかも
最近のわたしの思想といえば
運命より成り行きみたいな恋愛、関係性の物語を好むとか
美徳としては、諦念に抗うのがかっこいい。とか
ありますね
「とか」って言葉を使いすぎ?
自分の言葉はなんでこんなに冷たいんだろう
これが本性なのかな
人を怖がらせないようにと思って絵文字を使うけど無理が出てくる
自己嫌悪🈲止🈲
頭をすっきりさせるということは何かを捨ててしまうということだ
おわり
多趣味がかっこいいと思っていて、色々手を出そうと頑張っている。実際は多趣味をあんまり達成できていないが。
趣味候補を挙げてみる。
・映画
・本
・お笑い
・BMSGのオタク
・サックス
ここに増やすとしたら
・言語学
・西洋美術
・世界史?
・絵描く?
・この日記も趣味?
・演劇?
趣味はインプットのものとアウトプットのものが両方あると良いみたいなこと聞いたことあります。こう見ると、わかりやすくアウトプット型の趣味はサックスだけで、「なにかのファン, 視聴者, オタク」っていうものが多い。
でも、ファンアートを描いたり考察とかして感想をしたためたり、もとがインプット型の趣味でも、能動的な楽しみ方はできるね。
実はここからが本題。私の友達は趣味がなくて、趣味を聞かれることにストレスを感じるみたい。私は多趣味ってかっこいい!多趣味になりたい!って思ってるけど、趣味がない人もいるし何も変じゃないよね
そういうことわかって生きていこう
あとさっきびっくりしたんだけど
「感想をしたためる」の「したためる」って「認める」って書くんだ
おわり
みんなは人によって言葉遣いを変えてますか。
私は幼馴染が結構いていまだに遊ぶんですが、彼らといる時言葉遣いに迷います。というのも、最近、簡単な言葉を選びすぎてるかも、と思うんです。
ちょい難しい単語が伝わらないかもと不安になって、言い換えてしまいます。言い換えることや噛み砕いて伝えることはかなり上手くできているつもりです。
しかし、これをやっていること自体が彼らに失礼なんじゃないかとも思うわけです。幼馴染とは高校の間全然会っていませんでしたが、その間にももちろん彼らの語彙力は上がっています。前には使っていなかったような難しめの単語を使っているな、と感じることもあります。だから、わたしも使う言葉の難易度ラインを引き上げるべきです。
でも、自分で言っといてなんだけど、そんなに上手く微調整できませんよ!この迷いを父に話したら、気にせず喋っちゃえば?と言われました。
私は「自分の言ってることが相手に伝わらない」ことを人より恐れるたちなんだと思います。幼馴染たちは、自分の仕事の話とか私が知らんアイドルの話を普通にしてきます。説明下手すぎるだろ!と思ったりするけど、それも遠慮がなくて良いのかもしれません。でも私はおしゃべりが好きなのでできれば伝わる方が嬉しいし、それに加えて、相手を傷つけたくないのです。「語彙力」か「頭の良さ」か「学力」の差か知らんけど、向こうは、なんも気にしていないのかもしれない。しかし、幼馴染には、すこしでも私に対して劣等感を感じてほしくないのです!
保育園から中学まで彼らと一緒にいて、そのころの私はほとんどなーんにも気配りをしていませんでした。テストに30点ハンデつけて勝負とかしてたし、自分より低い点数を「上がったじゃん!」って褒めたりしていました。友達の点数が上がったのを喜ぶのはいい話な気もするけども、ハンデの方は流石に遠慮がなさすぎる。そういう後悔もあって、悩むわけです。
これ最初に言うべきだけど、私は自分がめっちゃ語彙力あるとか頭いいとかは思ってませんからね。
まあそんな深刻な悩みでもないので、もうちょっと難しめの言葉も使うように変えて、楽しく遊びます。
終わり
普段、他人の装いにすごく注意を向けていて、そのことについて話す人に対して違和感を感じる。「あの子おしゃれだよね」とか「今日の髪形かわいいね」とかはよいと思う。そうでなくて、「あの子こういう服の方が似合いそう」とか、「ショートの方が似合いそう」とか、とにかく「このほうが似合いそう」みたいな親切っぽい発言が苦手。
みんながみんな一定の可愛さを目指して生きているわけじゃないことを理解してほしい。可愛いのスタンダードを目指す自分の感覚を他人に適用するのはよくない。服やメイクに興味がない人もいれば、スタンダードから外れても好きな服を着る人もいる。
高校生のときにある部分で見た目を変えたら、一部の女子の態度が変化したという経験がある。思い込みかはわからない。私の意思が弱くて申し訳ないけれど、可愛くしたら周りの人に喜ばれるってのも、消極的な誘導って感じがして怖かったなあ。
また、恐ろしいことに、自分がメイクを始めてからは例の”目線”をすこし獲得したように思える。前まではほんとうになんにも見てなかったのに、メイクのこと考えてた時期は「この子メイクしてないんだなあ」「この子しっかりメイクしてるのにひげ剃ってないんだなあ」って頭に浮かぶようになってしまっていた。これは今はあんまりない。
こういう点で言うと、大学は高校より居心地がいい。状況はコミュニティによってかなり変わってくるかも
ただ、私の精神が自由になったところで大学通学で満員電車に乗るからミニスカは履きづらい。許し難いよ
頑張っていきましょう
おわり
たとえいい人同士でも相性がよくても、人と人とが関われば傷つけ合ってしまうのは普通のことなんだなと最近思ってきた
原作未読!
・俊介が出番前喜久雄の化粧を手伝う場面
俊介が悔しさを堪えてサポートしていて感心!涙拭うとこが特に優しい 悔しい一方で本心から喜久雄に頑張ってほしいと思ってるんだなと感じた
もちろん喜久雄の方の演技も素晴らしい
・転落した喜久雄のしんどい営業(?)場面
俊介もこれやってたんだ〜〜ってなるなぁ
俊介と喜久雄が交替でこういう環境に置かれるの面白い
お笑い芸人が下積み時代の話で言ってるような感じだ〜と思った
キツさの描写がうまくて、1番感情移入できた瞬間かも
・殴り合う喜久雄と俊介を彰子が車内から眺めている場面
こういう冷めた目線が差し込まれるのがとても良い!竹野が基本この役だったけどこの場面は喜久雄に利用された彰子だからこそ効くなぁ
・竹野
いいキャラしすぎている!1番好きだ ハマり役だし
「三代目」!
喜久雄と初対面で喧嘩する場面、合理的に考えればヘラヘラして煽る意味ないから 竹野も若かったんだなぁ〜と感じる
始めから世襲の世界への不満を露わにしていたし、喜久雄が血に打ち勝つのを1番見たかったのはきっと竹野だなあ
竹野のシーンは全部いいね。
「あんな風には生きられねえな」ってセリフ、そこまで説明しなくても…と思ったけどこうわかりやすく導いてくれる作品も好きです
他にももちろん白虎襲名・喜久雄屋上・最後の曽根崎心中などあるもちろん
以上! 原作きっと読むぞー